博多風鈴
この風鈴は福岡県知事指定特産民芸品である福岡積層工芸ガラスの技術を駆使した「博多ビードロ」というブランドのガラス製品です。機械による量産品ではなく職人達の手によりひとひとつ丹念に作られています。
創り手の「やさしさ」や「ぬくもり」を感じて下さい。
上野焼風鈴(あがのやき)
上野焼の食器類は、古来より毒を消し中風に羅らないと伝えられ、酒記類は酒の風味をよくし、飲食物が腐敗しにくいと伝えられています。また、他の陶器類に比較して作品が極めて絵軽いとされます。
伊万里焼風鈴
酒井田柿右衛門によって色絵の技法が始められ、佐賀藩のもと発達した有田焼が江戸時代海外への輸出などに伊万里の港から運ばれたため、「伊万里焼」と呼ばれていました。
現在では有田で作られていたものを「有田焼」、伊万里でつくられたものを「伊万里焼」と呼んでいます。
古伊万里方式は、染付、染錦などの技法を使いヨーロッパなどにも盛んに輸出されてきました。
有田焼風鈴
有田町は人口1万5千人の、山間の町です。
赤絵に成功した陶工酒井田柿右衛門で有名な有田焼は、元和2年(1616)李参平が有田の町外れにある泉山に白磁鉱をを発見した年をもって始まりました。
特に和食器は品質も良く、家庭内にも多く使われています。
磁器独特の音色が有田焼風鈴の特徴です。
波佐見焼風鈴(はさみやき)
慶長4年大村藩主・大村喜前公に従って渡来した李祐慶兄弟と朴正意等などの陶工によって窯が築かれた。
波佐見焼には後世に残る名器や、これと言って歴史的に確認できる逸品が殆ど見当たらないのは、大村公が日常用品の生産に力を注がせていたからと言われております。
そんないきさつもあり、この波佐見焼は無駄の無い簡素な中にシンプルで親しみのある風鈴です。
長崎瑠璃風鈴(ながさきるり)
長崎奉行所に残る記録によると、すでに1670年には「びいどろ吹き」が長崎にも存在していたことが知られています。
ビイドロ渡来よりおよそ400年長崎の地に現代のびいどろ吹きたちが息づいています。
原料の調合、デザイン、製作までと納得できる長崎びいどろをめざして日々創作に励んでいます。
南蛮人がはるか昔に運んできた不思議な色と形に新しい生命を吹き込んだ瑠璃庵の作品が、手にする人の日常に解け込み、願わくば感性をゆさぶり得る愛用の逸品となりますように。
天草藍風鈴(あまくさあい)
天草は磁器原料として、古くは江戸時代より肥前地区(有田、伊万里、波佐見など)へ出荷され、今日につずく主原料の一つです。
生まれ育った天草に産する「陶石」の素材を最大限に生かすべく、一点、一点を手作り、手書きにて製造しています。
磁器特有の澄んだ音色の中に、天草の藍色の海を感じて頂けたら幸いに存じます
別府竹風鈴
大分県別府市は、温泉と竹細工の生産が全国的に有名です。
特に竹細工においては品質も良く家庭雑貨、業務用品、お土産関連品と広く商品化されています。
歴史的にも古く、室町時代の行商人用の籠の販売に始まり、現在では技術的にも高い評価を得て「伝統工芸品」に指定されています。
涼しげな竹細工と鋳物ふうりんの澄んだ音色が特徴です。
薩摩切子風鈴
薩摩切子は江戸時代末期に薩摩藩で作られた「切子ガラス」です。
明治初頭で一度途絶えたその技術は現在の職人たちにより忠実に復元され新たな歴史を刻み始めています。
薩摩切子は無色のガラス生地に色ガラスを厚く被せているのが特徴で、そこに籠目紋、魚小紋等の細かな模様を刻み込むことで「ぼかし」と呼ばれる色ガラスと、透明なガラスの境目にグラデーションを生み出します。
目で楽しみ、音色で楽しむ・・・薩摩切子風鈴で夏の涼をかんじて下さい。
沖縄びーどろ風鈴
戦後沖縄におけるガラス工場の復興は、戦前から作っていた人たちや疎開先からひきあげてきたガラス職人たちが、本土から技法を取り入れ生産が始まりました。
ガラス工芸として脚光をあびたのは戦後、米軍進駐軍の需要が多いことからガラスづくりが盛んになりました。
当時は主にランプほか、つけもの瓶等が型吹きで作られました。
沖縄ガラスの主生産材料は、科学成分から言えばソーダ石灰ガラスに属します。